mama!milk「辿り着いた場所で」

mama!milk「辿り着いた場所で」

2015年10月10日、沖縄ツアーの一環で、
CONTEでライブを行ってくれたmama!milk。
CONTEにとってもオープンして初ライブが彼らのライブで、
空間がどのように音を響かせるのか、
彼らの演奏を通して知ることができた貴重な夜となりました。

そもそも、まだオープン前のどんな店になるかもわからないのに、
「CONTEでライブをやりたい」と言っていただいた時は、
チャレンジャーだなあ!と思いましたが、
mama!milkはこれまでもカフェや美術館、庭園、お寺などなど、
本当に様々な面白い場所でライブを行ってきた音楽家。
それはどんな未知の場所だろうと、
その場所、そこに来ている人たちと対話し、
そこでつくり出す音楽こそを楽しんでほしいという、
ライブという一期一会の意味をよく知っている
彼らの信念のようにも思えたのです。

そして当日聴いた、アコーディオンとコントラバス、
高音に伸びる響きと低く鳴る音という
対照的なふたつの楽器が織り成す世界の豊かさ。
それは、夜のCONTEの雰囲気とmama!milkの音楽が相まって、
ひとつの物語が生まれるような、本当に美しい時間だったと思っています。

このインタビューは、
ライブの後、お客さんを前に行った公開インタビューです。
mama!milkの生駒祐子さんと清水恒輔さんに、
ライブの感想などを交えながら、
聞きたかったことをいろいろと質問してみました。

なぜ2人はこのように官能的で異国情緒を思わせる音楽に辿り着いたのか。
そんなことを彼らの言葉から少しでも感じてもらえればと思います。

インタビュー・文/川口美保

 

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01「お互い、この楽器しか
できなかったんです」

———今日ライブを聴かせていただきながら、 アコーディオンとコントラバスのデュオという音楽スタイルにどうやって辿り着いたのだろうと考えていたんです。おそらく2人にとって、これらの楽器が「シンプルでありながら究極である」というふうに思ったから、この2つだったのだろうと思ったんですよ。

生駒 ああ、なるほど。だけど実際の順序は逆で、たまたま私はアコーディオンを演奏していて、たまたま彼はベースを弾いていて、一緒にやってみようとなった時に他の選択肢がなかったんです。
アコーディオンとコントラバスという楽器の編成からいうと、高い音と低い音なので、デュオで演奏するにはなかなか難しいスタイルではあるんですが、お互いその楽器しかできないし、ということで、それしかなかったという(笑)。

———じゃあ、楽器ありきだったんですね。それでも、互いの楽器に魅力を感じたのは確かですよね?

生駒 やはりお互い持っていないものを持っていると思ったし、であれば、この2つの楽器でできる曲をつくればいいということで、作曲もやるようになったんです。

———2人でやれる音楽を探していった、と。

生駒 そうですね。

——ー今回、CONTEでは初ライブでしたが、これまでmama!milkは本当に様々な場所でライブやっていますよね。こういうカフェはもちろん、庭園、廃墟、美術館など本当に面白い場所が多い。そのライブのスタイルはどういうふうにつくってきたのですか?

清水 「楽器の選択肢がなかった」ということの次に僕らが思ったのは、「楽器さえあればどこででもできる」ということだったんです。ライブハウスみたいに機材やスピーカーが揃っていなくても、自分の身体と楽器だけ持っていけばどこでもできる、と。それで活動範囲が広がったんですよ。
小さな場所でも、コンサートホールでもできるし、ちょっとした機材があれば、美術館でもギャラリーでもどこでもできる。そういう場所を活動の場所に選んでいった結果なんです。最初から人が集まりやすい場所、人がいて気持ちがいい場所、そこで音を出しながらやっていくと、こういうスタイルになっていったという感じなんですね。

———楽器がこの2つである、というところからはじまって、音楽性も場所も自然とこうなったと。

清水 自分たちで選んだり、選んでいただいたり、「こんな面白い場所があるからやってみない?」と誘っていただいたりしたことも結構ありました。

———今回、CONTEに来ていただいて、どこでどんな音が響くかをひとつひとつ探りながらリハーサルをやっていただいたのですが、今日のライブはアンプを使わないでいこうということで、すべて生音だったんですよね。それが一番この空間に美しく聴こえるという判断でそうなったわけですが、場所には、場所が持っているエネルギーや場所が持っている物語があるから、2人がやっていることは、そこと対話しながらの作業なんだなと思ったんです。でもそれが一番大変なことですよね。

生駒 そうですね。そこが一番エネルギーを費やしているところでもあるし、自分たちでも一番楽しんでいるところでもあります。別の次元で言うと、舞台作品の音楽を作曲して演奏することもあるのですが、それはどちらかと言えば、何か自分たちがその中でやるべき役割が決まっていて、「場所を変容させていく」というやり方が多いんです。でもライブはそれとは真逆のやり方で、自分たちはニュートラルでその場所に来て、場所によって自分たちがどうするかを変えていく。

———だから、場所を知ることからはじめる、と。

生駒 そうですね。今回、いろいろなご縁をいただいて、ここで演奏させていただけることになったので、まずは、CONTEのお2人にここでお会いすることからはじめました。食事もいただいて、こんな美味しいお料理をつくっているんだとか、こんな器を使っているんだとか、こんなふうに光が入ったらいいと思ってこういうふうに場所をつくられたんだとか、そういうことをいろいろ感じる中で、あんな音を演奏してみたいね、こんなことをしてみたいね、というのがなんとなく生まれていくんですよ。

———じゃあ、現場に来てからが勝負なんですね。

清水 今回は、今日までに2回ここには来ているんですよね。普通の営業しておられる時も見ておきたいなと思って。

———まず、一昨日の夜にお店が終わった後に来ていただいて、昨日の昼の営業中にも来ていただいて、今日3回目なんですよね。

清水 ハードだけじゃなくて、ソフト面も知りたかったんです。貸しホールだとそういうのはないわけじゃないですか。ハードだけがあって「中は全部自分でつくってください」ということだけど、こういうお店になると、中を動かしている人たちが何を考えてやっているのかなというのを知っていた方が知らないより楽しいですから。

———だからか、つくっている過程にライブ感があってとても面白かったんです。曲順も、もちろんあらかじめ決めていらっしゃったとは思いますが、会場に来てから曲を決めていったと、さきほどおっしゃっていましたよね。

清水 ライブがはじまってからも変えました。この曲は飛ばそうとか、この曲は入れようとか。

生駒 この場所は、一昨日に初めて伺って、その時から風通しの良さを感じていたんです。生きている植物とドライになっている植物の両方をすごく大事にされていいて、そこに風通しの良さを感じたんですよ。

———ちょうど開店直後でみなさんにいただいたお花が枯れ始めているんですね(笑)。でもそれがいいなと思っていて。

生駒 すごくいいなと思ったんです。そういうことの中から、それだったらこういう曲を演奏させていただきたいねっていうことをこっそり話しながら(笑)。
実際のライブは、音でCONTEさんの全てと対話させていただくような感じでした。それは物理的に、ここに音が跳ね返ってこういうふうに響くから、こういうふうに弾こう、というのもありますし、もっと気持ちの部分でもありますし、今日一日呼吸させていただいた感じです。

清水 僕らが音を出すのは、音源でしかないんですね。実は今日の音響をつくったのは店をつくった人で、壁にどういう漆喰を塗るか、床をどういう処理で終わらせるかで音が変わるんです。だから意図してないにしても、この音をつくったのはお店をつくった人なんですよ。

———そういう意味でも場所というのは人の想いで出来ているんですね。

生駒 本当にそうですね。

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02 感じ取る人がいて
「ただの音楽」を奏でられる

———今日、会場をつくっている時に、ステージの後ろに椅子を用意したのですが、それは「かつての主が、とある人を待っている」というシチュエーションをつくろうと生駒さんがおっしゃったからなんですよね。

生駒 そうでしたね。

———その時に私が「それ、なんか哀しいね」と言って、「来ないだろうとわかっている人をずっと待ち続けている感じはいいですね」と、シチュエーションをどんどん哀しくしていく方向で舞台をつくっていくところがあったんです。それで、なんで哀しくしていこうとするのかな、と思ったら、喜怒哀楽の感情の中で、mama!milkの音楽の中に「哀しい」という感情を引き出したいとしている自分に気づいて、それがすごく面白いなと思ったんですよ。感情がざわめきたいというか、「待ち人」と言っていたけれど、誰かを想ったり、何かを想うその過程の中で生まれてくる感情をmama!milkの音楽に重ねているんだなと思ったんですね。

生駒 それは面白いですね。逆に美保さんの話を聴きながら、ああ、面白いなあって思いました。というのは、私たちの音楽には歌がなくて、歌詞がなくて、言葉がないので、本当は何もないんですよね。いろんな感情もなければ何もないんですが、言葉がないだけに、聴かれる方がいろんな想像をして聴くんだと思います。同じ曲を聴いても「すごく楽しい曲」と言う人もいれば、「こんなに悲しい曲はない」と言う人もいる。
mama!milkの音楽は特にインストなので、そういう側面があって、聴く人たちがそれぞれ自分の中でいろんな物語を紡いだり、思い出したり、そういう時間を過ごすための音楽なんだと思うようになってから、私たちは本当にニュートラルに、いろんな人たちの喜怒哀楽みたいなものをつねに受け入れられるような状態でいたいと思うようになったんです。

———なるほど。

生駒 だからすごく正直に言うと、あまり深い意味もなくあの椅子を置いたんです。だけどそれを美保さんがご覧になった時にすごくいろんなことを感じられるわけじゃないですか。だから、本当に、そうやって豊かに感じてくださる方がいらっしゃって、私たちはその前で「ただの音楽」を奏でることができるんです。

———それまではどうだったのですか? 「それぞれの人たちがいろいろな想いを重ねる音楽なんだと思うようになってから」とおっしゃったじゃないですか。どういうことで気づいていったのですか?

生駒 最初に曲ができる時や、むやみにアコーディオン弾きたくなる時というのは、自分の中でも泣きたいことがあった時とか、感情的に高ぶった時だったのですが、だけどそれを聴いた方が必ずしも自分と同じ感情でその曲を受け取るわけじゃないんですよね。「なんかすごく楽しくていい曲だった」と言われたりすることもある。「言葉がない」ということは、ある意味、そういうことなんだなと思ったんです。
私は音楽には2種類あると思うんですよ。「メッセージがあって、時代や人の心を引っ張っていくような音楽」。「メッセージがなくて、ただそこに佇んでいるだけの音楽」。私たちは言葉を紡がないので「ただそこにあるだけの音楽なんだな」とある時思うようになって、それからはできるだけいろいろ説明しないようになりました。そうすると、美保さんがあの椅子で物語を描いてくださったように、音楽が私たちの手を離れて聴く方のものになっていく。

———だけど、曲順にはものすごく物語性がありますよね。それは現場でつくっていくものなのだと思うのですが。

清水 それはわりと客観的に考えているかもしれないですね。自分が客だったらどうなのかという視点です。ここには一息ほしいとか、ここからここまではちょっと放置されてもいいかな、みたいな。ライブのなんとなくのルールとして、一曲終わって拍手するとかあるじゃないですか。でも自分がお客さんの時に、それも邪魔臭いくらいに音楽に入り込むことってありますよね。

———ありますね。

清水 そういうのが結構好きなので、ここは繋げてしまおうとか。

———それを自分で演奏しながら感じつつ、その上で客観性も持ちつつ、ということですよね。

清水 どこまで客観性が持てているのかはわからないですけど、時間軸のつくり方はわりとそんなふうに考えてやっていますね。

———でも音楽を「ニュートラル」に捉えているというのは意外でした。mama!milkって「官能的な音楽」とよく言われますよね? その「官能」というのは、2人の絡み合いの妙から来るものなのだと思ったんです。アコーディオンもコントラバスってそのまま「身体」という感じがするから、互いの演奏に寄り添い、絡み合い、それがエモーショナルを生んでいくわけで、そうやって自分たちもどこに迷い込んでいくかわからない感じを楽しんでいるのかなと思っていたんですよ。

清水 演奏に関してはとっても楽しんでいるんですよ。実際、動き的にはそんなにクールでもないじゃないですか。

———すごく情熱的ですよね。

清水 演奏するためにしか動いていないし、 決めのアクションがあるわけではないのですが(笑)、演奏はプリミティブなものに向かっていくなと思っているんです。だからこそ、あえて気持ちはニュートラルにというのはありますね。

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03 「異国情緒溢れる」音楽のワケ

———今回は2人でのデュオでしたが、他の楽器のミュージシャンを入れてのライブも行っていますよね。それは2人での演奏とはどう違いますか?

生駒 実はあんまり変わらないなと最近思っているんです。物理的には1対1と、それがトライアングルになる、カルテットになる、では、コミュニケーションが行き交う方向が増えるのでいろいろ変わっていくんですけど、音に対してルールの元に一緒にどこかに突き進んでいくという感じは、あまり変わらないです。でもアコーディオンとコントラバスの2つの楽器の音だけのところに別の楽器の音が入ってくると単純に面白いんですけどね。

———それも今度ライブで聴いてみたいですね。でも2つの楽器でこれほどに豊かな情景を描くということの濃密さは、デュオならではのものだなと思いました。「アコーディオンしかできませんでした」「コントラバスしかできませんでした」というところからはじまったにせよ、この2つの楽器だからこそできる可能性に、あるタイミングで気づかれていますよね?

生駒 それはあると思います。音楽ってドレミファソラシドという12個のキーというか調性があって、新しい曲を一曲つくる時に、どの調性でやるかというのを12個選べるんですね。だけど楽器の特性があって、例えばコントラバスでは「ミ」と弾いたらボーンって響くけど、「F」で押さえて弾いたらあまり響かないとか、いろんな特長がある。だから新曲をつくる時、12個の調性を全部合わせてみるんです。そうすると、混ざらないところもあれば、得も言われぬ不思議な混ざり方をするところもあって、それを全部録音しておいて、後で聴き返して、12個のうち、この2つの楽器でやるならどれが楽しいかなって。このキーのこれがなんか特別な感じしてちょっと面白いねって感じて調べると、演奏するのがすごく難しいキーだったりするんですけど(笑)、でもそれを必死で演奏したりして。

———それはすごく面白い話です。一曲の中に幾つもの可能性があるわけですよね。でもその中で、「面白い」と感じるものを選ぶというのが興味深い。

生駒 そう、ちょっと引っかかるもの。ボーンボーンボーンって普通に聴こえるねっていう調性もあれば、「あれ、これどうなってるの?」っていう不思議な響き方とか心に引っかかる響き方というか、「え?」ってなる調性もあって、そういう場合は、「え?」ってなる方を選びますね。

———これもよく言われますけど、mama!milkって「異国情緒溢れる」ということをよく言われますよね。

生駒 言われますね(笑)。

———結局、知らない世界というか、「あれ?」っていうものに惹かれていくというのには、その調性の選びが、ある種の「ここじゃないどこか」みたいなことに繋がっているんですかね。

生駒 いま、なるほど!って思いました(笑)。きっと、それが大きいと思います。私たちがつくる音楽自体はすごくオーソドックスな音楽なんです。どこかで自分たちが子どもの頃から聴いて好きだったものや慣れ親しんだ音楽が土台になっているので、見たことも聴いたこともない音楽は絶対つくってないんですけど、ひとつのメロディでも、この2つの楽器でどう響かせたら、「あれ、なんか面白い」となるのか。それを選んでいった結果が、確かに、自分たちでもまだ見ぬ世界に足を踏み込んでいくというか、異国情緒というところに結びついているかもしれないですね。

04 土壌が生んだ音楽、
そして旅で出会う人たち

 

———少し振り返ると、mama!milkが結成して初期の頃、お2人がいた大阪・京都の音楽シーンはすごく面白かったですよね。

生駒 ぐっちゃぐっちゃでしたね(笑)。

———ボアダムズがいて、音響系がいて、エゴラッピンやデタミネーションズがいて。清水さんはラブクライというバンドのメンバーでもありましたし、本当に個性的で様々な音楽性を持った面白いバンドやミュージシャンがたくさんいました。

清水 「間」が多かったと思います。

———「間」というと?

清水 レイヤーというか、メジャーな人からベッドルームで音楽つくっている人からの「間」がなだらかだった気がするんです。

生駒 確かにそうで、でもいま思うと、そのごちゃごちゃなシーンの中にいろんな音楽があったから、mama!milkみたいな音楽も生まれたんだというふうに思うんですよね。「こんな人たちともやっていたの?」と驚くミュージシャンたちともいっぱい一緒にやっていて、そんな中から「mama!milkの根っこ」みたいなものができているんですよ。何もないところから「mama!milkはこのやり方でやります!」というのではなく、ああ、これも面白い、あれも面白い、こんな楽しい音楽がある、とか、音楽に限らず、こんな面白い変なことしている人たちがいるっていうところに自分たちもいながら、いろんなものを見ながら、関わりながら、こうなってきたんじゃないかなって。

———つまり、あの土壌が生んだ、ということですね。

生駒 本当にここ最近とても思います。土壌というのは思っているより大きいです。自分の呼吸する空気じゃないですか。もし他の街に生まれていたら、たぶん違うようになっていたと思います。

———ライブで本当にたくさんの街に行かれるでしょうから、より、自分たちの土壌の特性がよくわかるんでしょうね。ちなみに、沖縄にはどういう印象を持っていますか?

生駒 私は風が流れるのを感じます。海と山が両方あって、つねに風が流れているということは、いろんな物事にすごく大きく影響していると思います。人の考え方とか見つめる先のこととか。京都は盆地なので、空気が溜まっているんです(笑)。

清水 でもそこらじゅうで沸々としている感じはする(笑)。

生駒 溜まっているからこそ生まれる蓄積された世界、内を見つめて洗練されていく世界というのが、私の京都の好きなところなわけですけれど、沖縄は、風が流れている分、人の気持ちも、小さな出来事に捕われずに、おおらかに流れていく感じがします。

———確かに、沖縄は、ここにいながら、過去と未来が繋がっている感じがしますね。

生駒 そうですよね。止まっていない感じがすごくするんです。過去にいるわけでもなく、未来だけを見ているわけではなく、すべてを見ながら流れているという印象が私にはあって、気持ちがいいです。

———沖縄は毎年ライブに来ていらっしゃるそうですが、何年目なんですか?

清水 初めて来たのは2003年なんですよ。それから毎年、年に一回は来るようになりました。ツアーをたくさんしていると、演奏しにいくのはもちろんそうなんですけど、人に会いにいきたいなと思うんです。みんなに会いたいなって。それがずっと続いていますね。

———その土地に友達ができると、その土地がすごく近くなりますよね。

清水 京都にいても古い友達で年に一回も会えない友達もいる中で、こうして旅に出て毎年会いたい人がいるというのは嬉しいですよね。でもそうやって会いたいなと思えることが、人と人が繋がっているということなのかなと思うんですよね。



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